巡り合わせ
突然ですが、結婚しました。
…。
かなりことばを端折りました。
正しくは、友人の結婚式に参加しました。
っていうか、
久しぶりのブログなのに、相変わらずなノリでホントすみません…。
友人の結婚式は、その人となりがよく現れた、あたたかみにつつまれた式でした。今まで、人の結婚なんてものは妬みの対象でしかなかった私が、人の幸せを願い、新郎新婦を見て「巡り合わせっていうのは本当にあるのだなぁ〜」と初めて感動したのです。
さて、友人の結婚式に出席した数日後に、とある女優の自伝を読んだのですが、その自伝を読んで、またもや「巡り合わせ」を感じた!というのが今日のお話です。
とある女優とは高峰秀子さん。
『二十四の瞳』の大石先生や、『浮雲』のゆき子を演じた、昭和を、いや、日本映画を支えてきた名女優です。
彼女の自伝『わたしの渡世日記』には、彼女の複雑な生い立ちから、養母との確執、幼くして映画スターとなり一家を養っていく苦悩…。そこには波乱とも言える人生が綴られています。
そんな逆境をバネにしてしまう前向きさと、持ち前の才能によって、映画界では大成功をおさめる彼女ですが、一家を養っていく重圧と苦労、そして幼い頃から映画界という堅気ではない世界で育ってしまった彼女なりの苦しみというものは相当なものだったのではないでしょうか。
そんな彼女にひとつの転機が訪れます。
それは木下惠介監督の『二十四の瞳』に出演した時のこと。木下惠介監督から、当時、助監督をしていた松山善三さんとの交際を勧められたのです。
当時、出演作のギャラが一本100万円という大スターの高峰秀子さんと、かたや月給12,500円の助監督だった松山善三さん。
交際を勧めた木下惠介監督でさえ、「ごめんなさい、こんな話をして、 バカバカしいと思ったら忘れて下さい。スターの秀ちゃんに、助監督さんとつき合えなんて、こんなこと言う人いないよね。バカバカしいよね、全く」と言ってしまったくらいでしたが、高峰さんは交際を快諾したのです。
『わたしの渡世日記』では、初デートのエピソードとして、不器用にフランス料理へ手を伸ばす松山善三さんをこう綴っています。
「ナイフとフォークを取り上げながら、私は感動していた。私の胸の中に爽やかな風が吹き込むような気がした。世の中に、こんな率直で素直な人間がいるのだろうか?いや一人居ることはわかった。」
幼い頃から映画界という堅気ではない世界で育ったてきた彼女にとって、堅気の人だった松山善三さんという存在は、新鮮で安らぎを感じる存在だったのかもしれません。
やがて、一年間の交際を経て松山善三さんとの結婚を決めた高峰秀子さん。
日頃敬愛していた川口松太郎氏に松山善三さんを紹介した時、川口松太郎氏はこう言ったそうです。
「驚いたねぇ、おまえ、あの男はまるでおまえの亭主になるために生まれてきたみたいな奴じゃねぇか、どこもかしこもさ、世の中うまくしたもんだ、と思ったよ、オレは」
川口松太郎氏は、生まれたときから親を知らず、若い時分はさまざまな仕事を経験しながら苦労して大作家となった人。「精神的スポンサー」と高峰秀子さんが敬愛する川口松太郎氏のおめがねに、松山善三さんが叶ったことを高峰秀子さんがどんなに嬉しく思ったことでしょうか。
そして、昭和30年3月26日。松山善三さんと高峰秀子さんは結婚。誠実を地でいく松山善三さんという伴侶を得て普通の生活をすることで、生まれてはじめて心の安らぎを得ることが出来たのではないでしょうか。高峰秀子さんの幼い頃から続いた渡世人生に安らぎが生まれた瞬間です。
ところで、月給12,500円の助監督だった松山善三さんですが、その後、映画監督・脚本家として、『名もなく貧しく美しく』や『典子は、今』などで活躍し成功をおさめます。
木下惠介監督は、高峰秀子さんに松山善三さんとの交際を勧めたとき、「人間はボクが保証します。 彼は将来必ず立派な仕事をする人間だと、ボクは信じているんです。つき合ってみてくれませんか?」と伝えたそうですが、木下惠介監督の松山善三さんに対する信頼は本物だったのです。
そんな木下惠介監督は、かつて高峰秀子さんが幼い頃に出演した『頬を寄すれば』という作品でボロボロと涙を流す高峰秀子さんを見て、当時カメラの助手だった木下惠介監督は演出家になることを決心したのだといいます。
巡り合わせとはこういうことを言うのだなぁ。と、しみじみ考えてしまいました。そして『わたしの渡世日記』を読み終えて、高峰秀子さんは松山善三さんと結婚してよかった!と心底思ったのです。
っていうか、私には巡り合わせがいつ訪れるのですか。










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